Saturday, April 29, 2006

機内で観た映画

今回のアメリカ出張の機内で、以下の映画を観た。

  • 博士の愛した数式(★★★☆☆)
  • 80分しか記憶の持続しない数学博士が…というかなり強引な舞台設定を許せるならば楽しめる映画。ただし、下に挙げる2つの映画よりは「エンディングが読めない」という点で個人的には楽しむことができた。しかし、そのエンディングが尻切れトンボだったのも確か。

  • Rumor has it(★★☆☆☆)
  • 典型的なハリウッドラブコメディーで、見た瞬間に結論が分かってしまう。こういった典型的なハリウッドラブコメディがなくならない理由は、水戸黄門を観て喜ぶ日本の年配の方々のように、根強いファンがいるからなのだろう。

  • Memories of Geisha(★☆☆☆☆)
  • 第2次大戦前後の京都を舞台にした芸者のストーリーにも関わらず、出演者全員が英語を話すという、かなりムリヤリな時代考証を自分は受け入れることができなかった。音声吹き替えの映画は好きではないのだが、これは逆の意味で日本語音声吹き替えが欲しくなった。あと、主演のチャン・ツィーが「日本人」を演じているため、母国中国では上映禁止になったというミソがつき、個人的には中国への嫌悪感が増した映画。
というわけで、今回はあまり良い映画にめぐり合うことができませんでした。

アメリカ最終日

アメリカ滞在も今日で最終日。今回はネバダ(ラスベガス、リノ)、カリフォルニア(サンフランシスコ)を経験したが、それぞれに異なる雰囲気であった。ネバダはカジノなどの人工的な華々しさと乾燥した土地の対比が印象的だった。カリフォルニアは、太平洋沿いで比較的温暖な気候とチノパンとTシャツが似合う比較的のんびりした雰囲気が印象的だった。過去にバンクーバーへ何度か行ったことがあるが、サンフランシスコとの類似性を見つけることができた。ボルチモアやオーランドを訪れた過去の経験を踏まえると、やはりアメリカは「大きい」の一言に尽きると思う。月並みなのは分かっているが、逆に率直な印象だ。過去にヨーロッパに住んでおり、アメリカに対してはそれほど魅力を感じたことはないが、自分でここに住んでより多くの経験をするのも悪くはないと思うようになった。

Friday, April 28, 2006

今日はSan Francisco

今日は、RenoからSan Franciscoへ移動し、今はそこのホテルで更新中。Renoで会った顧客やディーラに喜んでもらうことができ、充実した出張になっている。しかし、これに甘んじることなく改善・進化あるのみだ。

Wednesday, April 26, 2006

ラスベガス

出張でラスベガスに来ている。ここは、良くも悪くもアメリカらしいと感じた。良い点としては、小奇麗な町並みや、様々な競争による充実した消費者サービスなどで、一方で悪い点としては、すべてが「人工的」で「あじ」や「人間味」がないのだ。まあ、アメリカ自体の国としての歴史の短さを考えれば、致し方ないと思う。それにしてもイタリアの宮殿やパリの町並みをコピーしたテーマパークで写真を楽しそうに撮影している人たちの気持ちがわからない。まあ、本人たちは楽しんでいるようなので、自分の趣向を押し付ける気はないが。

Thursday, April 20, 2006

旅費清算

こんなニュースがあった。

「日銀の出張、半数不正 11~1月、航空運賃が過大申告」

こういうニュースを聞くと、一般企業で働いているのが本当にバカらしく思えてくる。旅費の清算の厳格性は、社会人として当然だと思うのだが、その当然のことができていないということだ。この事件は、拡大解釈をすると、「業務上横領」であり、刑事事件だと個人的には思う。これは、額の大小に関わらず、社会人としてのモラルの問題だ。

ただ、自らの経験を踏まえた事実として、旅費清算時には、レシートをすべて持参して添付するといった手間がかかるのも事実だ。これをなくすためには、コーポレートカードを利用したり、旅券や新幹線の回数券を事前に受け取るようにして、出張者自らが清算させないようにするべきだと思う。

米国出張

イギリス駐在中に、ニューヨーク、ボルチモア、ワシントン、オーランドといったアメリカ東海岸は何度か出張で経験した。今回は、週末から初めて西海岸へ出張する。十派一絡げで「アメリカ」と呼ばれているが、人口や経済規模に関しては、アメリカ合衆国は国全体でヨーロッパ全体とほぼ等しいと言われている。よって、当然アメリカ国内で多様性が存在するはずだ。今回は、仕事以外ではこの点に主眼を置き、いろいろ経験できればと考えている。

Tuesday, April 18, 2006

電子書籍の可能性

ワールドビジネスサテライトで、本のビジネスの広がりが扱われていた。携帯電話での書籍やホテルのプールなどで使用可能な電子ブックなどだ。しかし、これら全てに共通するのが「タダ」 なのだ。携帯電話の場合は、1話目がタダで2冊目以降は有料、ホテルの場合は電子書籍はあくまでも「おまけ」で、これだけを目当てでこのホテルに宿泊する人は少ないだろう。つまり、電子書籍はコピーが「ダタ」であることを利用して、集客や以降の有料顧客を引くための手段として使用されている。
以前、「厚さ」のような触感を感じることができない電子書籍は、通常の書籍の置き換えにはならない、あるいはそういった趣向性が求められない雑誌や新聞で普及するかも、と書いたことがあるが、このような活用法があることを知らされた。

Saturday, April 15, 2006

行間を読む

俗に「行間を読む」 という言葉が使われるが、日本語・英語に関わらずこれは難しいと思う。
ただし、これまでの経験からすると、日本語の場合が「行間を読む」ことが多いような気がする。

Friday, April 07, 2006

飽和状態がもたらすもの - 続き

「飽和状態がもたらすもの」を前回書いた時に、「人間の脳が処理するべき情報や仕事に追いつかなかったら…」と書いた。再度この件について考えてみると、ITとは本来人間がやっていた単純作業を代行するという意味では、その飽和状態を回避するものとして存在している、という捉え方ができるだろう。例えば、昔はそろばんの伝票算のプロが手作業で行っていた会計処理は、会計ソフトウエアで一瞬だし、その他在庫・商品管理といった比較的単純なものから、WEBショッピングに至っては販売まで行ってくれる。こういった「ITによる代行作業」は広がりを見せており、Amazonをはじめとするメジャーなサイトでは、ユーザの履歴データに基づいて「おすすめ商品」まで表示してくれるようになっている。まるでお得意様へ商品を勧める、古き良き商店街の地域密着型の店のようだ。

しかし、これにも限界があるというのが私の個人的な意見だ。それを一言で言うと、「経験に基づいた直感、勘、感性に関わる事象をITで代行させるのは不可能」になるだろう。その際たる例が「無限に稼いでくれる自動株トレーディングソフトウエア」や「必ず売れる商品デザイン、絵画、音楽を自動で作成するソフトウエア」が存在しない、という事実だ。

とはいえ、これまで人間が行ってきたことの「ITによる代行作業」の領域は、これからも広がっていくだろう。

Wednesday, April 05, 2006

飽和状態がもたらすもの

「ビジネス成功の鍵はスピード」だといわれて久しいが、それを助長した要素がやはり広義の意味でのインフラの発達だと思う。昔は東海道線に揺られて宿泊しなければならなかった東京→大阪出張が、今では新幹線で日帰りがあたりまえ。昔はたまに喫茶店で休みながらのんびりと営業活動できたのが、今ではいつでも会社から携帯電話でフォローが入る。FAXでやり取りしていた情報は、電子メールで一瞬で送信。時差さえ気にしなければ海外とビデオ会議やSkypeで話し放題。などなど、休む暇なしで働きっぱなしだ。

こういったことを考えると、一人あたりが業務でさばく情報量や仕事量は、昔よりも増えているのは明らかだろう。しかし、最近人間の脳がそれについてこられなくなっているのではないか?と考えることがある。それが飽和状態に陥ったときには何が起きるのだろうか?これは、単に個人の仕事がさばけるかさばけないかというミクロな視点で述べているのではなく、世界のビジネス全体というマクロな視点にまで視野を広げると、非常に興味深い。

Monday, April 03, 2006

交渉の難しさ

相手先との交渉ほど難しいものは無い。なぜなら、最初からベストエフォートで譲歩できる内容を互いに提示できれば楽なのだが、 そうはいかず、結論に至るまでにさまざまな条件を考慮する必要があるからだ。また、複数のことを言うのにも、言う順番によっては相手に与える印象が違ったり、その結果交渉で得られる結果が大きく異なることがある。こればかりは「マニュアル」や「お勉強」ではどうにもならない、経験がものを言う分野だと思う。

そういった交渉に不可欠な豊富な経験の必要性や、当時は英語を話すことができる人口が少なかったという事実を踏まえ、過去には「商社」が間に入り、交渉を代行したり、リスクを肩代わりしたり、文化の違いを吸収してくれていたと思うのだが、最近はどうなのだろう?コスト至上主義による「中抜き」や英語人口が増加した今、商社の仕事は減っていく一方だと想像できる。その最たる例が、B2Bのeコマースによる部品の調達だ。

一時期、このB2Bのeコマースによる部品の安価な調達が流行したことがあった。しかし、本当のところはどうなのだろう。やはり、現場を見ないでスペックのみで調達というのは、リスクが大きいと思うし、自動車をはじめとする最近の製造業の品質を見ると、どうもうまくいっていないように思う。安易なeコマース利用によるコスト至上主義に、そろそろ「より戻し」が来るころだと思うのだが。

Saturday, April 01, 2006

アナログ v.s. デジタル

「なんでもデジタル化することで世の中が便利になる 」というのは現段階では妄想だと思う。今日、久しぶりにカラオケに行った時、曲を探すのが冊子ではなく、液晶付きペン端末になっていた。便利かと思いきや、一覧性が悪く、かえって目的の曲を見つけるのに時間が掛かる羽目に。また、冊子に指を挟んで複数のページを眺めながら曲を選んで…ということもできない。

あと、いわゆる電子ブック端末のモニター的なことを経験したが、先のカラオケの例のように、今の電子ブックは本の代わりにはなり得ないと感じた。理由は、「自分がどこまで読んだ」とか、「あと残りどの程度」というのを物理的に「厚さ」で感じられなかったからだ。また、電子ブックだと、分厚い本を読み終えたときの達成感とかも希薄なものになってしまうだろう。よって、今の電子ブックは、そういった触感的な要素があまり求められない新聞や雑誌といったコンテンツに目を向けるのが得策だと思う。


どうも年をとったせいか、保守的な意見になってしまったが、現状はデジタルとアナログは適材適所で使用され、アナログが全くなくなってしまう時代は当分こないように思う。例えば、保存スペースをとらないとか検索を主に使用するだとか、そういった用途にはデジタルでの保存が適しており、一方で、先にあげた本の例ような触感的な要素が多分にに含まれているものだとか、一つのものの中にある複数のページを頻繁に比較するといった操作を行うものについては、アナログの方が適していると思う。

現在でも紙の手帳やメモ帳が多く使用される理由は、メモの断片を継ぎはぎしたり、順番を並びかえたり、複数のページを自由に比較したりといった普段の操作をデジタルデバイスが提供できていないことに起因していると思われる。それはまさに、
デジタルを使用したときの大きなディスアドバンテージである、「結果を表示するための装置が必ず必要で、その面積が限られている」を説明する良い例だと思う。

逆の発想をすると、そのディスアドバンテージを克服できれば、ものすごい発明だと思う。それをかなえるのは電子ペーパーなのか?自分の知的好奇心を満たすために、自分が生きている間に実現してくれることを祈っている。